12 Jul 2024
今日は国際交流会館のお手洗いで落ち着いて考えを巡らすことに、なぜか、なった。
始まりはTK先生がTeamsにポストした、ゴキさんの闘争においての意思決定の話しに果たして自分が興味を示すべきか否か。
表面的に興味があるのはそう何だが、何でと言われると言語化できないのでちょっと考えてみた。
ワタクシは人間の協力行動を知りたいのね、特に認知的な部分でどうやって共通の目標に向かっていくのか。
まず思ったのは、根本的な部分を知るということで、taxonomyが寄与しているのじゃないか?
ちょっと集合論から写像に行ったことを思い出してみた。分けるて大事なのかもしてない。何かの存在を他と比較して認めるっていうこと。
そこでだけど、「社会性」っていう名前のついたタンパク質がなければ(おそらく)、そんな配列もない。だから社会性の根源ていうのは何から生まれるのかを考える。
モノとモノ繋がり、インタラクション、つまり関わり方が社会性。その関わり方を決めるのは個体の意思決定。つまり意思決定の結果、それが全体として「社会性」になっている。
ここで、以前自分の問いを思い出してみる。異なる生物がなぜ同じシステムを利用しているといえるのか。そのためにはシステムの一部が他とどのように関わっているか、がいかに類似しているか。これを問うていた。
これはこれで研究の根本なのかも。でも認知の協力とか分業というテーマがある分、ちょっと以前の問いは根本すぎる。普遍すぎる。せっかくの着眼点が活きていない様子。
そしたら、TK先生が言ってたゴキの闘争に関する意思決定、生理学的な面(つまり進化を通してどんな事象のベースが受け継がれてるかも)考慮する、ような研究に興味があるって言っていいのか。ダメなこたないけど、闘争。意思決定と生理学的事象と進化ははまる。闘争がどうなのか。
ま、アダムcが言っていたけどselfish じゃない意思決定をいかに説明するかなのかも。問いの形にすると、selfish ではないけど何かのためにはなっている。そういうことはself以外でどういうことが起きると全体にとって好ましいのかを「知っている」ということかも。
問い: What are the keys to know the benefits of non-self matters?
これでどうか。