21 Jun 2024
I have been reading a book called 問いの立て方 (https://www.amazon.co.jp/問いの立て方-ちくま新書-宮野-公樹/dp/4480073701). This book constantly tries not to tell me how to construct a critical question but exists with me to experience the process for that.
本が日本語で書かれていたのでここからは日本語で。
「問いの立て方」に対するこれまでの理解と現状で自分に言えることのまとめ。
本を最後まで読む前に最寄りの駅からお家くんまで歩いてた時に、どうにかそれまで読んだ内容を自分の考えとマージしてみたらどうなるかをやってみたら、一語一句を調べて合わせることはできなかった、というか、それをするほどちゃんとまだ読んでないけど、自然と思いつくことがいくつかあった。
それは私がちょうどEcologyの授業を受け始めた時にAdam C. にメールで聞いたこと。How come abstract concept shared between ants and humans can be said the same therefore study of one can explain the other. みたいなこと。
だって「普通」に考えて違う物質的に違う生物。同じ概念でも中のシステムは違うことだってある。ここでちょっと自分なりにアリさんと人間さんの文脈で考えてみる。 e.g. アリにとっては先行する個体についていくことがフェロモンによって行われているとすると、人間の場合は視覚的に判断していたりする。アリは文字を書いたり声を出したりはしないけど、人間もアリも協力して課題に取り組むことがある。だけどやはり、なんでそれらが、中身も共通している概念だと持っていけるのか、これまでは直感的に同じ概念なら同じとしていたのか。
そんな「中身のシステムがpresumably違う場合でも同じ概念を共有する生き物同士であれば一方の理解がもう一方のシステムを説明できるということはどういう状態を表しているのか」が気になってきた。
それをさらに問い進めてみると、「どうしたら同じ概念を共有しているシステムの理解をそれらの間で利用してもよいということができるのか?」になるのかなー
例えば、利用してもいいんじゃないかとするための指標として、、、比較対象になっているシステムたちの中で、同じ役割を果たしているとされている1つの要素を取り除いた時に、どちらのシステムの挙動も同じになる。もしそうであれば、その取り除いた要素がシステム中で他要素と関わっていた方法が比較しているシステムどちらでも同様だったということが証明できるのではないかということ。
要するにcontrol and treatmentの実験っぽいけど、逆っていう感じ。なぜなら、同じとみなせるものを残すのではなく、取り除くことで他が同じであるかを調べるから。比較対象同士では変化がいかに見えないかを進めていくのね。変化を見たくないスタンス。というか変化を見ないことが評価されるというスタンスと言った方が正しい。
だからそれができるようなモノ作ろっかなーーー
でも本当にこの問いが worth answering かを確かめたい。
でも問いに答える前にその問いの価値を判断できたら、苦労しないのね。
方向性としては、つまり、私の違和感が解消されることがまず大事。違和感が解消されればまた他の違和感に気づきやすくなっていくかもしれない。今のところ、自分が素直に実験とかを進められない理由がその違和感だから。違和感を解消することがその先にいかに効率的・効果的にいくためかを教えてくれるんじゃないかと思っておる。